ゆっくり生きる

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選択

選ぶと言うことは、人間としての特権ではないだろうか。そんな事を思わせる出来事が起きた。

 裕子の携帯が鳴った。名前を見る。従姉の恭子からの電話だった。
いつものように「もしもし元気かい?」と明るく尋ねる。
ちょっと口ごもる返事。次ぎに出た言葉は「ごめんね。」だった。その後に続く言葉は、裕子の姉のような存在だった従姉の雅子の死を知らせる言葉だ。恭子は、雅子に誰にも知らせないよう固く口止めされていたことを説明しながら謝る言葉が続く。恭子は雅子の妹である。

とても信じられない。裕子は十日ほど前に雅子に電話を入れていた。いつも通り明るい声でみんな元気にしているとの返事を思い出す。ところが、恭子が言うにはもう2年も前から乳がんが見つかり闘病生活をしていたとのことだった。癌が見つかった時は、摘出手術がまだ可能だったようだ。ところが人間の持つ自然の治癒力を信じた雅子が選んだのは徹底した食品管理による東洋医学だ。

ますます信じられない話だ。なぜ?どうして?そんな疑問が雅子の死の悲しみよりも、驚きとしてしか受け止めることができない。生涯独身を通し、信仰心が深く、人のためにつくし、いつも明るく元気で、はつらつとした雅子だった。

裕子の住む街は札幌だ。大急ぎで、雅子の住む小樽へと駆けつける。
あまりにも変わり果てた雅子の遺体が横たわっていた。表現するならば、まるで即身仏のような姿であった。信心深い彼女らしい姿だった。この時初めて裕子は雅子の死を実感せざるおえなく悲しみに涙した。

人には生きる道を選び歩いて行かなくてはならない節目が、意識しようと、しまいと何度となく訪れる。例え人に言われたことであれ、決めたのは自分自身である。それが人間に与えられた特権ではないのかと裕子は思った。
もしも、雅子がメスを入れるのにまだ間に合う西洋医学を選んでいたとしたらその命はまだまだ尽きることが無かっただろう。しかし、まるで即身仏のような姿にはならなかったのかもしれない。そう思うことで、裕子は自分自身を納得させようと繰り返し思うのだった。
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by haru123fu | 2015-06-29 20:45 | ショート・ストーリー | Comments(4)
Commented by curatortome at 2015-06-30 01:28
とりあえず半世紀以上生きたのだから、もうジタバタするまでもないな、とは思うのですが、いざ苦痛が始まったら治療を受けないわけにもいかないだろうし、なかなか即身仏にはなれないかもしれませんね。
Commented by haru123fu at 2015-06-30 14:04
♪♪ Tome館長さんへ
文章を書くと言うのは難しいものですね。
芯がしっかりしていないとお話の展開もバラバラになってしまい、
たったこれだけの文章が、やっとやっとでした。
Commented by りんさん at 2015-06-30 18:19 x
考えさせられる話ですね。
だけど手術をして、生きる方がいいと思います。
ほとんどの人がそうすると思います。
だからこそ勇気のある選択だったのかもしれませんね。
Commented by haru123fu at 2015-07-01 16:13
♪♪ りんさんへ
何故手術を受けなかったか?今でも疑問です。
まるで即身仏のような姿を見て、納得しなくては行けないことと、
思いながらも、出来れば生きていて欲しかったです。